会社探訪 〜土屋喜久が訪ねた障害者雇用の最前線〜

三菱商事太陽株式会社(社会福祉法人太陽の家、オムロン太陽株式会社、富士通エフサス太陽株式会社)

皆さん、こんにちは。
今回の訪問は、三菱商事太陽株式会社です。

私は厚生労働省で障害者雇用対策課長を3年も務めていながら、恥ずかしいことに、別府の「太陽の家」を訪ねたことがありませんでした。

6月のSACEC総会の際に、三菱商事太陽の福井秀樹社長にお目にかかり、「ぜひ別府にも」とお声がけをいただきました。幸い、今般、北九州市にある産業医科大学を訪問する機会ができたことから、「であれば、別府にも足を伸ばそう」と計画。10月11日、訪問が実現しました。

当日は、福井社長のほか、常務取締役の工藤泰孝さんと佐藤隆信さんにご対応いただきました。また、福井社長にご案内いただき、社会福祉法人太陽の家、オムロン太陽株式会社、富士通エフサス太陽株式会社も、訪問することができました。


半世紀を超える歴史の重み

大分県別府市の亀川地域には、太陽の家・本館を中核として、三菱商事太陽をはじめ、太陽の家が出資して設立された企業群が立地し、太陽の家が運営するA型・B型の事業所などと合わせて、障害者の就労に関する機能が集中的に展開されています。
これらは、中村裕博士が「保護より機会を!」と唱えて太陽の家を開設(1965年)して以来、この地域に順次積み上がってきたものです。この地を訪ねて、障害者雇用の世界でも偉大な先駆者であった中村博士の大きな功績を実感し、その言葉を胸に刻みました。


中村博士の「予言」から、まもなく40年

その中にあって、三菱商事太陽は、太陽の家が出資して設立された4つめの会社です。

最初に設立されたオムロン太陽(1972年設立)、それに続くソニー・太陽株式会社、ホンダ太陽株式会社は、いずれも障害を持つ社員が製造現場で働く会社でした。

これに対して、三菱商事太陽は、「これからはコンピュータの時代になる」と見抜いた中村 博士によって、プログラミングやシステム開発を主力業務とする会社として設立されたことに、大きな特徴があります。

中村博士の慧眼に驚くとともに、来年には設立40周年を迎える三菱商事太陽が、中村博士が見抜いた時流に乗って、今も時代の新しい要請に応え続けていることは、素晴らしいことだと思いました。


三菱商事太陽のオフィスは、広々としたワンフロアに、ゆとりのある通路やパトライトの設置など、バリアフリーの面できめ細やかに配慮された環境を実現しています。

そういう同社でも、雇用は身体障害者から精神障害者にシフトしていて、現在では、全社員の23%が精神障害を持つ社員に。このため、近年は、精神保健福祉士(PSW)3名が常駐する「ワークサポートチーム」を設置し、健康管理体制の確立に力を入れているとのことです。
福井さんに「別府に本社があることのメリットは、何ですか?」とお尋ねしたところ、太陽の家を中心に様々な機能が集積していて、障害を持つ社員が暮らしやすく働きやすい環境が整っていることとのお答えでした。

確かに、同社の目の前には、車いすの整備を担う会社があったり、すぐ近くには、JCHO(独立行政法人地域医療機能推進機構)が経営する総合病院もあります。福井さんたちとお昼をご一緒した和食屋さんは、ごく普通の店構えなのに、店内は車いすユーザーの皆さんで賑わっていました。このような環境は、他の障害を持つ人たちにもきっと優しいはずです。

一方で、2014年からは、通勤困難な社員が自宅で入力業務を行う在宅勤務にも取り組んでいます。2018年には、SE・プログラミング業務にも在宅勤務者の業務領域を拡大し、この取組で、三菱商事太陽は「輝くテレワーク賞」(厚生労働大臣表彰・2020年)を受賞したそうです。
在宅勤務制度を利用する社員は現在14名で、富山や広島など全国に広がっているとのこと。会社を東京に置く必要性は、ますます薄れていくのかもしれません。



太陽の家グループが持つ絆

福井さんのご案内で、富士通エフサス太陽(同じ建物の別の階)とオムロン太陽(道の反対側)も、見学できました。富士通エフサス太陽では堤敏裕工場長に、オムロン太陽では立石郁雄社長に、工場の中をご案内いただきました。

ここで印象深かったのは、太陽の家を中核としてこの地域に立地する各社の「横の連携」の緊密さです。トップ同士、なんでも気軽に話し合える関係とお見受けしました。訪ねた日の数日前には、関係者が大勢揃って、九州工業大学(北九州市)に視察に行く機会もあったそうです。


「太陽の家」は今

そして、福井さんのお取り計らいにより、山下達夫理事長にご挨拶し、お話をお伺いすることができました。山下さんは、三菱商事太陽の元社長。特例子会社の経営を熟知した方が社会福祉法人のトップであることは、太陽の家の活動を象徴していると感じました。

山下さんのお話は活力にあふれていて、大分空港が宇宙港になることに合わせ、太陽の家から宇宙飛行士を出すビジョン(!)まで飛び出して、未来への挑戦を熱く語る姿に感銘を受けました。一方、最近の障害者雇用について「ただ数を追うだけになっているのではないか」という厳しいお話も頂戴しました。
雇用の質の向上は、臨時国会に提出された障害者雇用促進法の改正法案でも大きなテーマのひとつです。現状を憂慮する先輩の言葉をしっかりと受け止めて、取り組んでいきたいと思います。

中村博士の銅像の前で。山下理事長・福井社長とともに

この地域の活動の「厚み」を実感

中村博士は、パラリンピックの生みの親でもあります。

そして、三菱商事太陽の佐藤常務は、現役の車いすランナー。有名な「大分国際車いすマラソン」の常連だそうで、九州パラ陸上競技協会の理事長としてもご活躍です。
オムロン太陽では、2008年北京パラリンピックの車いすマラソンの銀メダリストが、生産技術部門で働く姿を拝見できました。皆さんの活躍ぶりに、ここでもこの地域の活動の「厚み」を感じます。

2020年にオープンした「太陽ミュージアム」には「体験ゾーン」があり、私もボッチャを初体験。一投目は偶然にも白球(目標球)の近くに、でも二投目は大きくオーバー。ほんの二投でしたが、面白さと難しさを実感できました。

この日、最後に立ち寄ったのは、太陽の家・本館の隣にある「サンストア」。太陽の家は、A型の事業所としてスーパーマーケットも運営しています。

私がいつも利用するスーパーと変わらない規模のこのお店では、約20名の障害を持つ店員が、接客も商品の陳列もすべて行っているとのこと。ささやかではありますが、旬を迎えている大分名産のかぼすを買うことができました。

盛りだくさんにいろいろ見せていただき、駆け足になってしまった部分もありましたが、この地域の皆さんが展開する活動の広がりと今も続いている挑戦を実感することができ、たいへん有意義な一日となりました。

《自社PR》

私たちは、情報技術を活用した付加価値の高いサービスを社会に提供するとともに身体・知的・精神それぞれに障がいのある社員の雇用にも取り組んできました。
私たちが目指すのは、障がいのある人もない人も普通に暮らせる当たり前の社会です。そのためにも太陽の家の創設者、故 中村 裕博士の理念と、三菱商事グループの三綱領の「所期奉公」の精神を社員一同しっかりと受け継ぎ、多様な障がいのある社員が活躍する場をさらに広げていきたいと考えています。
「原点」を忘れず、常にチャレンジ精神を胸に、誰もが夢を持って安心して働ける会社として、さらなる成長を目指していきます。

《会社概要》

*掲載した資料や写真は、各社からご提供いただいたものです。
*文中の「ショウガイ」の標記については、引用部分などを除き、法令と同様の「障害」としています。
土屋喜久(つちや・よしひさ)

株式会社FVP 執行役員
一般社団法人障害者雇用企業支援協会(SACEC) 顧問
学校法人ものつくり大学 顧問

1962年生まれ、群馬県出身。
厚生労働省において、障害者雇用対策課長、職業安定局長、厚生労働審議官を務め、障害者の雇用促進に深く関わった。
同省を退職後、2022年5月、SACECの顧問に就任。
本年10月、FVP・執行役員となる。
これからも障害者雇用へのかかわりを深めていきたいと考えている。